臥龍山 行基寺           Garyuzan Gyokiji
 
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 今から約1300年前(天平時代)に、美濃・尾張・伊勢の三国にかつてない大雨が降り続き大洪水がおこりました。 堤防は壊滅し濃尾平野は大海原と化して人命や家財に莫大な犠牲を出したといわれています。 当時、大仏建立の勧進のために諸国を行脚されていた行基菩薩はこの悲惨な惨状から諸人を救済するため、 奈良の東大寺(大仏)建立と同じ時期に臥龍山行基寺を開山・建立されました。
 天平宝字元年2月2日、行基菩薩(82歳)は奈良の大仏の姿を目にすることなく臥龍山行基寺の地に入定されたと伝えられています。 行基菩薩埋葬の地には七重の石塔が建てられ、現在もなお文化財として残されています。

 
 

板碑(岐阜県指定文化財)
 板碑は古来より行基菩薩入定の地と伝えられている行基塚の上に建っている。 板碑は追善または逆修のために路傍や墓上に建てられた石卒塔婆の一種であるが鎌倉室町時代に諸国で行われた。
 高さ1m40cm、幅上下とも約33cmで上部は三角形、頂部近く30cmの円相に大日如来を表す梵字を彫りこれを請蓮華で荘厳し、この下に脇侍仏の梵字が相対して三尊形式になっている。 梵字は雄渾ではっきり彫られその時代の風格がよく表現されている。 この下に永和3年7月26日願主敬白(西暦1377年:南北朝時代)と彫られている。
傍らにある自然石の副碑には次の由来が彫ってある。

当山比所従往昔行基菩薩御入定御墓申伝依之当所其外人々御山於菩薩称奉早尤可尊敬、時天平勝宝元己丑二月二日御入寂也


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浄土宗臥龍山行基寺    岐阜県海津市南濃町上野河戸1024−1