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今から約700年前の南北朝時代の動乱期(1336〜)には、この美濃の地でも青野ヶ原(現在の大垣市)の戦いなどの幾多の兵乱が続きました。
北朝方の高師直の先陣で美濃国の守護である土岐頼遠は、南朝方の北畠顕家率いる大軍勢を美濃で迎え撃ちましたが数において勝る敵を相手に苦戦を強いられ敗れました。
当山はその戦乱の際、結城入道友定の放つ兵火にかかって全山焼失してしまいました。
正平年間(1346〜1370)に尾張津島の領主大内左衛門之尉義景をはじめとする信徒郷士らが此の名刹行基寺の焼失を惜しんで、再び此の臥龍山の地に伽藍を建造したと伝えられています。
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今から約300年前、東山天皇の元禄年間(1688〜:徳川綱吉の頃)、尾州大納言徳川光友公の子(徳川家康公の嫡孫)松平摂津守源義行公が当地高須藩(現在の海津市高須町)に藩主として入封しました。
元禄15年義行公は西山の極楽と称えるこの霊場を松平家の菩提寺として境内及び全伽藍を改築、城郭に擬して再興しました。
改築工事は宝永6年(1709年)に成就し、菩提院臥龍山行基寺は高須藩の隠れ城としての役割を果たすようになりました。
明治維新に至る200年の間は一般庶民の登山参詣は禁止されておりました。高須藩松平家歴代藩主のうち9人のお墓が建てられています。
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高須藩主歴代墓(岐阜県指定史跡)
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初代 |
摂津守義行 |
正徳5年没 |
年60歳 |
崇厳院廓誉俊月体道 |
2代 |
摂津守義孝 |
享保17年没 |
年39歳 |
高徳院尊誉超丘英隆 |
4代 |
中務大輔義敏 |
明和8年没 |
年40歳 |
蒼岳院習興仁徳音 |
6代 |
摂津守義裕 |
寛政7年没 |
年34歳 |
本崇院清誉徳仁順明 |
7代 |
弾正大弼勝當 |
享和元年没 |
年65歳 |
大慈院空譽常覺恵念 |
8代 |
摂津守義居 |
文化元年没 |
年20歳 |
廣恩院大誉普化報眞 |
9代 |
中務大輔義和 |
天保3年没 |
年57歳 |
泰量院功譽徳岸 |
10代 |
摂津守義建 |
文久2年没 |
年64歳 |
芳潤院建譽魁翠秉斎 |
12代 |
摂津守義端 |
万延元年没 |
年2歳 |
泰巌院瑞譽秀光映林 |
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浄土宗臥龍山行基寺 岐阜県海津市南濃町上野河戸1024−1
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