行基寺の沿革
当山の開基は、今から約1300年前(奈良時代)に、行基菩薩が聖武天皇の勅願をもって、伊勢、尾張、美濃の三国の守護霊場地として七堂伽藍が創建されたことによります。
足利時代までの600年間は、濃尾の人々から『西山の極楽』と讃えられ、各宗の祖師や高僧をはじめ、数多くの人々が御利益と功徳を求め、参詣や参籠のために足を運ぶ信仰霊場であったと伝えられています。
今から約300年前(江戸時代)に、松平義行公(徳川家康公の曾孫で、徳川家光公の外孫にあたる)が、美濃高須藩の藩主として封ぜられるにあたり、松平家の菩提寺として境内および全伽藍を城郭に見立てて改築されました。その後、明治維新に至る160年間は一般庶民の登山参詣は禁止されていました。
-
板碑 (現在は公開致しておりません)
-
七重塔
-
櫓時計